【5月の京都で】ー陶真の中堅校と呼ばれる中学ではー
新緑の京都へ、保護者の参加を募っての仏閣参拝行事、太秦映画村見学があり、陶真たち生徒と、校長先生、教頭先生、担任の先生たちとバスで向かいました。
ふだん観ることができない書院や庭園を拝観したあと、昼食会がありました。
昼食会では、校長先生たちが各々、いくつかのテーブルに分かれて着席され、公立中学ではあり得ない先生との近さに驚きましたが、ここではそれが当たり前にあることでした。
私が過ごした中学生生活とのあまりの違いを目の当たりにし、この日一日、何を話していたかをほとんど覚えていませんでしたが、かろうじて覚えていたのは、行き帰りのバスで隣り合わせたママと、お互いの中学受験について話したことでした。
その時はそうとも知らずに当たり障りのない会話をしていましたが、そのママというのは、陶真が今後3年間、公私にわたり行動をともにすることになる、同級生のひとりである岡沢くんのママだということを、しばらくしてから知ることになりました。
岡沢くんにはお兄ちゃんがいて、そのお兄ちゃんは男子校の進学校である私立中高一貫校へ通っていました。
「できることなら、お兄ちゃんと同じ学校へ通ってくれてたら」というのを聞き、岡沢くんのママにとって、結果として不本意な中学受験になってしまったようでした。
岡沢くんのおじいちゃんというのは、いくつかの山を持つ地主だそうで、私が日常では接点を持つことがほとんどない人達が、陶真の同級生の保護者として、そこには数多くいました。
そして、それは私たち家族の「未知の世界」への入り口でした。
彼をも含め他の同級生との出会いは、陶真のこれからに、さまざまな影響を与えることになりました。
陶真に良かれと中学受験を思い立って以来、陶真が私立中高一貫校に無事入学することができた今も、当初に感じた、未来が開けるようなワクワクする気持ちは、前にも増して膨らんでいく気がしました。
このときはまだ、確信できてはいませんでしたが、ここのママたちはわが子への一生懸命さを経済的なことも含め、行動として表せている自信と自負をここでは感じることになりました。
たとえ今のわが子が、ゆるやかな成長でしかなくても、母だけは味方になり励まし信じ切っていくといった強い思いが、ここ私立中高一貫校全体を包み込んでいるのを感じました。
陶真の通うそれほど偏差値の高くない中堅校と呼ばれている私立中高一貫校の保護者たちは、そのほとんどが、ひとかどの個人経営者、もしくは地主や資産家、あるいは名立たる方々でした。
ここのママたちの多くは、家業のお手伝いをしていたり、主に家族やわが子たちのお世話をされていました。
身に着けているものも、庶民の私でさえ高価であることがわかるようなブランドであったり、初めて見たであろう大きさの宝石であったりでしたが、ここではそれらはあたりまえの光景となっていました。
私たち家族にとって、私立中高一貫校への入学は間違いなく、本当に大きな経済的負担となりますが、のんびりしている陶真にも、普通では体験できない環境の中にいることで、より多くの成長が望める気がしていました。
地元の公立中学に通わせることで生じる環境面での心配事を減らし、なおかつ中高の6年間で観劇や国内外研修などの情操教育を充実させ、3年後の高校受験で分断されることなく、多感な6年間を有意義に過ごすことにつながっていました。
【5月の公開授業で】ー涼佑の難関校と呼ばれる中学ではー
入学式から1か月後、その日は涼佑の私立中高一貫校で、保護者に向けての公開授業があったため、夫と訪れてみると、父親をはじめ、弟や妹をともなう家族が多くいました。
ここの保護者は、陶真のところよりも教育熱心な印象を受けました。
何より驚いたのは、授業態度やその様子がまるで高校生さながらの機敏さでした。
先生が、机の最前列の生徒に手渡した問題用紙が、みじんのよどみもなく最後列の生徒まで配られていき、そのあと5分間を経て、まるでコマ送りを見ているように、最後列から最前列までまた、それぞれが解いた問題用紙が回収されていき、そしてそれらが一分の隙もなく先生の元へ戻っていくことに、ただものではない集団なのだと感じたのは、私だけではないはずでした。
そのあとのそれぞれの教科の授業もきびきびと進み、わずか1か月のあいだに、ここまでの敏しょうな行動ができるようになるとは、思ってもみませんでした。
涼佑の同級生は、涼佑よりずっと地頭が良くて、負けず嫌いで、勉強が好きなようでした。
そのほとんどが、幼い頃から家族が大きな期待を寄せる優等生であることが、私にもすぐにわかりました。
それゆえ、地元の公立中学ではなく、私立中高一貫校を選んだのは、より高みを目指し、それに向って突き進むことができるわが子への絶大な信頼があるからこそできた選択なのだと思いました。
このことが、涼佑の今後に良い影響を与え「水を得た魚」になった涼佑をみることができることを期待しました。
涼佑の通う難関校とよばれる私立中高一貫校の保護者たちは、病院経営者、開業医、大手企業勤務、学校関係者が大半を占めていました。
ここでも私たちのようなこじんまりとしている個人事業主で、余裕がない家族は、私の知る限りほとんどいませんでした。
ここのママたちの多くは、女医さんをはじめ、教師や会社員として、フルタイムで勤務していて、あらゆる面で信頼がおけるまじめさがあり、その人柄の良さは見習うべきことに感じました。
経済的な余裕があるから中学受験を選択したというよりは、わが子の将来をより良いものとすることを前提とした、計画的な先行投資の意味合いのほうが強い気がしました。
私たち保護者が、より多くの経済的対価を持つことによって、それに比例して、わが子へより多くの「心の財産」ともいえる精神的対価が与えられることを知ることになりました。
私立中高一貫校は「わが子思い」と「経済的支え」の両輪で回っていました。
その2つは必須条件で、どちらが欠けても、そこでは立ち行かなくなりました。
〈私立中学生の母たちは…〉
⑴わが子をとても大切に思っていて、それを公然と表せている
⑵わが子に時間とお金をかけている
⑶そしてわが子への信頼と、自分に対する自信を保とうとしている
ただの欲目では決してなく、「安物はしょせん安物」「安物買いの銭失い」といわれるように、これらは、物質的なものに限られるのではなくて、もしかすると、9割のヒトがしない中学受験というものは、わが子への愛情を最大限に形で表現するには、必要で必須なのかもしれないと感じました。
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