<次男の涼佑が小6生のとき>
兄の陶真の中学受験のとき、涼佑も一緒に行っていたのに加えて、涼佑や私たちが少しでも気になる学校がある場合は、できるだけ足を運ぶことにしました。
涼佑の場合、生活面では、ほとんどのことがそつなくこなせていたので、通学時間や立地などを気にせずに、志望校を選ぶことができました。
6月には「共学で大学の付属の私立中高一貫校の1校」の学校説明会へ参加しました。
ここは関西では大学が4本の指に入る名門校の中高一貫校でした。
とても人気度が高く、大学の付属なので、大学受験のことをそう考えずに、余裕が持てる学生生活を送ることができることも考えられました。
9月初旬には「共学で偏差値が高めの難関校である私立中高一貫校」の見学・説明会へ参加しました。
授業料の高さでは、地域で「一、二を争う」ほどということでしたが、大学受験のための塾や予備校へ通う必要がないほど面倒見が良く、大学進学実績が伸びていることが注目されていました。
高校から入学するクラスはスポーツ推薦もあり、文武両道を掲げていました。
この日、ここの正門をくぐったとき、私はなぜか気持ちがワクワクとしていました。
正門から続いている坂を上り説明会会場へ着くと、まだ数人の小学生とその保護者がいるだけでした。
私と涼佑、塾のお友だちの根本航季くんとそのママの4人で、一番前の席に座りました。
しばらく待っていると、理事長が私たちのすぐ目の前の席にむかえ合わせで座りました。
そのとき、優しくかつ凛とした表情で、緊張をほぐすかのように、私たちに話しかけてこられた理事長のことが、私の心に深く残りました。
その帰り道に私は、根本航季くんのママに「理事長が話しかけてきたとき、少しドキッとした」というと、けげんそうな様子で「そうやったかな?」というのを聞いて、不思議な気持ちでした。
あのとき一緒にいたのは確かなのに、まるで涼佑と私にだけそうしたのではないかと、なぜだか私はそう感じました。
そして、私たちへの対応が、どの先生も機敏に感じられ、そのてきぱきとしたテンポが、比較的早熟な涼佑に向いている学校かもしれないと感じました。
9月中旬には「中高一貫校を付属する私立大学」の大学祭を見学することにしました。
ここの付属する共学の私立中高一貫校は、たいして難しくはなく、ここに入学すれば、大学受験をそう意識しなくてよいという利点がありました。
10月に、ここの説明会があり、11月には、ここでのプレテストを受けることにしました。
新しく併設された中学のため、校舎はきれいで最新の設備で整えられていました。
運動部の部活動をする場合も、広くて整備されたグラウンドがあり、充実した学校生活が送れるのではないかと感じました。
10月下旬に、兄の通う「共学のさほど偏差値が高くない中堅校の私立中高一貫校」のプレテストを受けました。
涼佑も何度か訪れていて、私たちにも安心感があり、最終的な最後の砦として考えていました。
11月、12月には、上記の中堅校とよばれる2校のプレテスト結果についての説明会がありました。
こういう個別懇談のかたちでテスト結果を伝える説明会というのは、進学校にはほとんどなく、本試験を間近に控えた時期に、それも実際に行われる会場でもあるため、臨場感をもてることは、受験生自身にとっても保護者にとっても、本当にありがたいことでした。
涼佑のプレテストの結果は、落ち着いてできていたようで、合格良好なだったことにホッとしました。
弟の場合、兄の中学受験を目の当たりにしていたので、その点で少しは気持ちに余裕が持てることにつながっているのかもしれません。
あとは、志望校を決めるだけでしたが、夫は私の考えとは違っていました。
夫「私立は、陶真のとこだけ受けたらええんちゃうんか?」
私「陶真のとこは、涼佑には物足りないかもしれんよ」
夫「それやったら公立でええやん。公立受かったらええんや」
私「そりゃそうやけど…」
夫「俺らは、誰の助けもないんやからな」
私「わかってるよ。私も両親おらんし、何かあったらお互い頼れるひとがおらんもんな」
夫「陶真の授業料も払わなあかんし、涼佑には公立へ行ってもらわなあかん」
確かに夫は間違っていませんでした。
経済的に、いざというときに誰にも頼れないことに対して、常に不安がつきまとっていました。
不安に思う夫の気持ちも頭では理解できていました。
兄の陶真のところは、そう授業料が高くなく、交通費やその他の費用も把握できている安心感があったので、夫は、もし公立中高一貫校がダメなら、兄と同じところへ行くことを望んでいました。
とはいえ、陶真にとって良いことが、涼佑にとっての良いこととは限らず、兄弟間で明らかに違いがある以上、涼佑によりふさわしい環境があるはずでした。
やはり私は、涼佑にとって、最大限の能力を伸ばすことができる環境を与えるのが、親としての私のいちばん優先したいことに変わりはありませんでした。
中学受験は、今まで考えてもみなかったことを私たち家族に突きつけてきました。
わが子2人にかかる経済的なことや、まだまだ先だと思っていた将来のことを、それこそ真剣に、こんなに早くに、考える機会を与えていました。
中流意識の中で、今までぬくぬくとしてきた私たち家族にとって、その意識だけでも、そこから抜け出せるかどうかの瀬戸際に、このとき、ただ佇んでいました。
私の中でどうしても譲りたくなかったのは、親である私たちが主導ではじめた中学受験なのに、主導者である私たちの都合で、わが子たちを振り回してしまわないようにすることでした。
自分のことで、人生での何かを選択することより、わが子たちのことで、人生の何かを選択するということの方が、とても重く決めかねるものでした。
ここまでくれば、土壇場でさえ、ことがうまくスルスルと運んでいくよう願うだけでした。
それから、今よりも良くなっているわが子たちと夫、そして私自身を信じることにしました。
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