(1)家族4人が「川の字」になって寝るースキンシップと睡眠の確保
夫の仕事の都合で出来ないときもありましたが、できる限り家族4人で横になって、子どもたちが寝入るまで、絵本の読み聞かせをしたりしてを添い寝していました。
それまでに家事が片づかないときは、子どもたちが眠ったあとに、起き出して片づけることもしばしばありました。
ほぼ毎日のように、8時半から9時には布団に入り、いつでも寝れるようにしていました。
そうすることで、睡眠不足による心と身体の成長の妨げを防ぐ効果も期待できました。
2人ともに、小学校6年生まで家族で「川の字」を続けていました。
そのあとは、1人で寝るのを「待ってました」とばかりに1人部屋で、それぞれ寝るようになりました。
(2)家族写真や賞状を壁に飾っておくー家族と自分への信頼の確認
国内外の旅行で撮った写真をA4の額縁に入れて、家族が集まるリビングに置くことにしました。
特に家族全員が笑顔のものを中心に選びました。
リビング以外にも廊下や洗面所など家族全員が目にする場所に飾るようにしました。
旅先ではできるだけたくさん家族全員の写真をカメラにおさめるようにしていました。
家に帰っていざ印刷してみると予想以上に写真の数が少ないことがよくありました。
それもあって、子どもたちからは「お母さん、また写真撮るの?」と面倒がられるくらい、旅先では常に、カメラを構えていたかもしれません。
家族での日常的生活の中で、ささいなことから起きる慣れあいからくる甘えやすれ違いやいさかいを、それらの写真が吸い取ってくれているようでした。
楽しかった思い出に触れることで、優しい気持ちを取り戻すことができるような気がしました。
それと、例えば空手で級があがったときの賞状や漢字検定の○級合格証書など、家族写真と同じく目につくところに飾るようにしました。
どんなささいなものでも、ふだんよく目にすることで、子どもの中での成功体験として、そのひとつひとつが積みあがっていって、自分に対する信頼につながればいいという思いがありました。
(3)家族や自分を取り巻くひとたちとの時間を多く持つーより良い人間関係の形成
夫がもともと出かけるのが好きだったこともあり、家族4人で、わが子たちが幼いころから、休日には外で過ごすことがしょっちゅうありました。
遠く近くにかかわらず、海に山に川に、公園に温泉に、そして小学生だったわが子たちを連れ、何度か海外旅行へも行きました。
無邪気に親に従って、一緒に来てくれるのは、小学生までだというのはやはり本当でした。
大きくなるにつれ、よほど自分の行きたい場所でもないかぎり、首を縦に振らなくなりました。
それはきっとわが子たちの親離れが進んでいる証拠だと思うことにしました。
たぶん夫と私の方が子離れができていないようで、断られると心がシュンとなることが最近までありました。
寂しさもありましたが、誘わない努力が必要なことを知りました。
私自身がそうであったように、わが子たちも、どんどん私たちと過ごすよりお友だちと過ごすことが楽しくなっていきました。
小学校の高学年ともなると、学校の宿題よりお友だちと集まってやるゲームやその時々の流行りの遊びを優先する姿に、やきもきしながらも、お友だちとのふれあいやおしゃべりは宿題やお勉強以上に大事なものを与えあっているように感じました。
というのもあり、お友だちとの交流はできる限り多くし、誘われたらよほどでないと断わらないようにさせることにしていました。
時には、言葉づかいが極端に悪く、わが子たちが影響されたらどうしようという同級生が遊びに来たことがありましたが、どういうわけか馴染まず自然と遊びに来なくなり「類は友を呼ぶ」にならなくて済んだことに、私はほっと胸をなでおろしました。
夫と私は、親としていつまでたってもわが子たちを子供あつかいしていて、いつまでもそばにいてくれることを望んでいましたが、
いつかは親元から離れるときが必ずやってくる、せめてそれまでの時間をあとで悔いないよう、できる限り共に過ごせればという思いが強くありました。
少しあとになって、それらをやってよかったと感じたのは、私たちなりに家族4人で過ごす時間を積極的に持つことができたことによって、親離れが順調に進んでいると思えたことでした。
持って生まれた性格や兄弟列特有の性格の違いは否めませんが、2人とも感情表現の抑制が取れていて、日常的に情緒が安定している子どもだと感じることができていました。
そのことは、育てやすさの面で、親の私からしても、とても助かっていました。
思春期といわれていた時期でも、極端な反抗的態度もなく、当人たちにしても比較的ラクに乗り越えれたように思いました。
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