中学入試前年の12月初め、「進学校の公立中高一貫校」の1校と「中堅校の私立中高一貫校」の1校へ出願を済ませました。
2校のみ受験するのは、陶真を含め少数で、塾の同級生のほとんどが3校以上を受けるようでしたが、陶真には、2校ともダメなら公立中学へ行かせるつもりでいました。
これまで私たちは、思いつくかぎりの中高一貫校を訪れ、そして塾の先生とも話し合いを重ね、これまでの陶真の成績、精神的な成長も含めて、夫と私は、「第1志望校」と「第2志望校」を決めました。
最終的に、第1志望校は、私たちの希望どおりとなりましたが、第2志望校は、あくまで合格の可能性が高いというのが「最優先条件」でした。
中学受験のための塾へ通い始めた当初は、大それた期待がいっぱいで、ママたちだれもが憧れる「あの男子校」の制服に身を包む陶真の姿を思い描いては、夢をふくらませていました。
ただそれは、現実になることはなく、夢のまま終わりを迎えました。
このとき私は、正直いって迷っていました—。
「公立中高一貫校がダメな場合、中堅校の私立中高一貫校になるけど、それでも本当にいいの?」
「難関校レベルならまだしも、私たちのような普通のサラリーマン家庭にとって、その私立中高一貫校は、その学費に見合うだけの価値が本当にある?」
「それに陶真は、普通の子やし、公立中学が向いてるんちゃうの?」
「もっといえば、そもそも私立中高一貫校に行かそうなんてお金のかけすぎなんやん」
と自問自答が続いていました。
「今から高校受験に向かえば、時間はまだあるから、そうとう上位の公立高校へ行けるかも?」
実のところ、陶真が通う塾の塾長が言うように、高校受験に照準を合わせたほうが、のんびり屋さんの陶真には合っていたのだとしたら…。
でも、もう一度思い返してみることにしました。
中学受験を決めたときのことを…。
なぜだか、どこからともなく湧きあがるワクワク感と、どういうわけだか背中がゾクゾクする高揚感を。未来がひらけていくかのような感覚を。
私たち家族に、中学受験という「選択肢」をもたらした、知り合いの息子さんのことを、ふと思い出した私は、夫に聞きました。
私「前にいってた息子さんて、今どうしてる?もう大学生くらいやんな?」
夫「地元の国立大行ってるで。現役で受かったらしいで」
私「そしたら、その私立の一貫校ってやっぱりな難関校やってんね」
夫「おまえ、ひとの話聞いてたんか?その学校は、陶真が受ける学校やで」
私「え?ほんまに?そこの学校から国立大も行けるんや」
夫「何かわからんけど、公立中高とは違うんやろ」
公立高校出身の私の知る限り、国立大学へ現役で入れるレベルといえば、その地域の、ほんの限られた上位の公立高校だけでした。
いったいそこにはどんな秘密が隠されているのだろう?6年後の陶真が国立大入学もありえる?
もしかしたら、知り合いの息子さんのように、その私立一貫校が持つ「秘密の何か」によって、今の陶真のゆるやかな成長を、より早くより良い未来へと進めていけるかもしれないと考え始めていました。
そして何よりも今は、陶真のことをいちばんに考えることにしました。
塾に通い始めたころは、ほんとに「普通の子」で、どちらかというと、目立つことが好きではありませんでした。
それが、6年生になると、自らすすんで運動会でのアナウンスを担当するまでになり、少しづつではありましたが、確実に成長していました。
それは陶真が中学受験という目標を持てたことが一因になっていると確信できました。
たとえ私たちの望む結果ではなかったとしても、きっとそれが陶真にとっての最善の結果に違いない。これから先の陶真の伸びしろに期待を込めることにしました。
【私立一貫校入試日と合格発表日】
その日は、陶真の第2志望の私立中高一貫校の受験日(関西圏の中学入試統一日)でした。
とうとうこの日がやってきました。
出かける前に、受験票など忘れものがないかを確かめて、陶真と私は入試会場へ向かいました。
この日の私は、人生初の中学受験に、きっと陶真本人より緊張していました。
陶真はこの学校を3回受験するため、午前と午後の2回の入試を受け、次の日は1回の入試を受けることになっていました。3回めの入試は、1回めと2回めの結果しだいでした。
入試会場の隣の校舎にある保護者待合室には、張りつめた空気のなか、ママたちが時間を気にしながら、入試が終わるのを待っていました。
1回めと2回めの入試のあいだに、別の中学の入試会場へ行くママたちと、別の中学の入試会場から来たママたちが行き交うようすが見られました。
1回めの午前入試は、どの学校にとっても、その学校を「専願」とする受験生がほとんどでした。
なかには陶真のように、後日行われる公立中高一貫校を受ける受験生もいましたが。
2回めの午後入試は、別の志望校も「併願」としている受験生が合流してきていました。
なかには、片手では数えきれないほどの入試をこなす受験生もいるらしくて、能力的にも、体力的にも、陶真には到底できないことだと思いました。
そんな受験生って、きっと小3生のときの塾で出会った倉田蒼以(あおい)くんのような、大人顔負けの早熟な小学生なんだろうなと、ふと彼のことを思い出していました。
人生はじめての中学受験「合格発表」
その日はとても寒い日で、ガスストーブが運び込まれ、保護者たちがその周りを囲み、落ち着かないようすで、合格発表を待ちわびていました。
夕方のその時刻に合わせて、夫が涼佑を連れて、神妙な面持ちで現れました。
そこへ2回目の午後入試が終わった陶真が、ほかの受験生に紛れて、こちらへ来るのが見えました。
「どうやったんや?できたんか?」と夫が聞きました。
陶真は「うん」というと、カバンの中から受験票を取り出していました。
合格者は、そのあと校長室へ行き校長先生から直接合格証書を手渡されることになっていて、そのときにそれが必要でした。
「(受験票をさし)そんなん出してきて自信あるんやな」という夫に、陶真はただ笑っていましたが、そのあとすぐ、その笑顔のわけを知ることになりました。
待合室の窓越しに見える校長室の玄関に、先生が数人で掲示板を運ぶのが見えました。
それを見たママたちは、われ先にとそこへ移動し始めました。
それにつられたように、足早に私たちもそこへ向かっていました。
特に夫はだれよりも早く「一番乗り」を競うかのようでした。
その掲示板の前につくと、ガラス越しに、それをおおっていた布を外すのと同時に、校長室の玄関前の扉が開きました。
そのときの私の心臓は、飛び出しても不思議ではないくらいに、バクバクしているのがわかりました。
掲示板には、真紅の布の上に合格者の受験番号が書かれた白い紙が貼られていました。
「おい、あったぞ!」といち早く陶真の受験番号を見つけた夫は、叫ぶような声でいいました。
探すというよりも、私には、それが目の中に飛び込んできたように感じました。
そして陶真のその番号は、キラキラと光って見えていました。
夫と喜びあっている陶真の笑った横顔に成長を感じ「私はこの子の自信にあふれた、この笑顔が見たかったんだ」ということに、このとき気づくことになりました。
とりあえず私は、これでホッとしていました。
私はあるときを境に「公立中高一貫校」の受験は、陶真にはいえないまでも、俗にいう「記念受験」になるだろうと感じていたからでした。
【公立一貫校入試日と合格発表日】
当日、陶真と夫と私は、夫の運転する受験会場へ向かっていました。
ここは再編されてから初めて生徒を迎え入れるというので、とても注目されていたせいもあってか、入試倍率と比例するだけの受験生とその家族が、校門の前でも慌ただしく行き交っていました。
車から降り、陶真と私が校内へ入って行くと、そこにも、そこここで、人だかりがあふれていました。
その人だかりが複数に分かれているのは、各大手塾ごとに集合していたからでした。
その中に、陶真の担任の先生を見つけ、陶真をそこへ合流させると、あとは塾の先生にお願いして、少しのあいだ、私もひと息つくとことができました。
今の私にできることは、陶真の「万が一で受かるかもしれへんやん」という気持ちを尊重して、陶真の健闘と良運を祈ることだけでした。
帰りの車の中で夫が「試験どうやったんや?できたんかいや?」と陶真に聞いたのを、私は陶真の返事をさえぎるように「陶真は頑張ったんやから、今まで。それでええやん。な!陶真」といって、振り返ると、そこには、今までの緊張状態から解き放たれた表情でうなづく陶真が座っていました。
数日後に発表された公立中高一貫校の結果は、私の予感どおりの残念な結果に終わりました。
私たち家族にとって、私立中高一貫校への進学は、経済的にとても厳しくなることは目に見えてわかっていましたが、それよりも陶真の合格発表のときのあの笑顔を失わないようにすることが、何よりも大切にしたいことだと思えました。
これで、陶真の中学受験が終わりをむかえることになりました。
そして、地元の公立小学校のおよそ1割の同級生たちとともに、私たち家族にとって、私立という未知なる中学生生活が始まろうとしていました。
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