私立中高一貫校は、入学式を待つことなく、合格発表の日からすでに始動していました。
校長先生から合格通知書を手渡されるという、公立中学出身の私にとって考えられない手厚さに驚くと同時に、その時の誇らしげな陶真を見て、目頭が熱くなり、うるっとしてしまって以来、私立中高一貫校なるところへ、陶真を通わせることができて、まるで私自身がきらきらとかがやく中学生になったかのように、高揚した気持ちになっていました。
1月中に、入学金、施設費、学校納入費、制服用品購入費などを納めて、入学手続きを済ませると、入学許可書が渡され、役所への手続きを終え、それから数日後の1月末、陶真と私は初めての登校日に向かうことになりました。
この日は、制服と体操服の採寸があり、身体が大きくなることを見越し、ひとつ大きめのサイズを選びました。
3月の登校日には、制定用品の販売、通学定期交付手続きがあり、後日百貨店での制服の引き渡しがありました。
そして3月下旬の小学校卒業式で、
中学校入学式より一足早くに、その真新しい制服をまとった陶真の姿には、中学受験を経験した4年間の成長が詰め込められていました。
【初めての私立一貫校入学式】
4月の初め、入学式のその日はあいにくの雨となりましたが、遅咲きの八重桜が咲く中、幾度となく訪れた正門から続く坂道を陶真と私はゆっくりと上がっていきました。
玄関ホールに置かれていたハンドメイドのウエルカムボードの前を通り、入学式会場へと続く廊下を進みました。
思ったよりこじんまりとしていながら、厳かな雰囲気の中での式典が終わり、その会場から各教室へ誘導されていった陶真たちのあとを追うように、あとから駆けつけて来た夫と2人でそこへ向かいました。
陶真たちの教室では、あふれんばかりの保護者のこの上ない笑顔が、席に着いたわが子たちを囲んでいました。
ここに座る何人かは、この学校がいちばん通いたい中学校ではなかったのかもしれません。
そして、それらを囲む何人かの保護者は、この学校がいちばん通わせたい中学校ではないはずでした。
ただこのときは、ここにいた誰もが、中学受験をめざし、親子でともに歩んだこれまでの日々を、かけがえのない家族の思い出として、最後までやり遂げたという安堵感に包まれていました。
一般的には、わが子が男の子の場合、わりあい早くに親との距離をおくことが多いと聞いていたこともあり、親の私たちと、純粋で素直な子どものまま接しているであろう小学校の高学年の、思春期の入り口手前まで、家族一丸となって、密接ともいえる中学受験ならではの経験ができたことは、私にとって本当にありがたい「たからもの」となりました。
それともうひとつ私は実感していました…陶真のいた小学校でも私たち家族は少数派でしたが、この中学校でもきっと私たちは少数派だということを。
それは肌で感じるものでした。
あたりまえにこの私立一貫校へ通える家族が9割ほどで、例えていうところの「清水の舞台から飛び降りる」くらいの気持ちで通わせる私たちのような家族は1割にも満たないということを。
陶真に中学受験を考えたとき、私になぜだかワクワクした気分をもたらしたのは、私たち家族とはかけ離れた、元より裕福な家庭だけが知る何かを感じ取ることができる気がしたからかもしれません。
その何かは、できあがってしまっている夫や私よりも、子供ならではの、もっとずっと柔軟性に富んだ思考ができる陶真へ良い影響をもたらすものであるはずでした。
この日は、陶真が、私なら物怖じしてしまいそうなところへ、堂々と胸を張って旅立っていく日でもありました。
【1年生の陶真】
4月—1泊2日で、オリエンテーション
5月—①定期考査、陶真たち、私たち保護者とともに、京都へ
6月—中高一貫での学園祭、プール実習、オープンスクール
7月—②定期考査、2泊3日で臨海学校
8月—勉強合宿
10月—③定期考査、体育大会
11月—合唱コンクール、芸術鑑賞会
12月—④定期考査、耐寒登山
1月—スピーチコンテスト
2月―⑤定期考査
入学当初は、1か月目のある日、駅から帰り道の自転車走行中に転倒したこともあって、毎日の通学が心配でしたが、「可愛い子には旅をさせよ」ということわざどおりに、陶真の成長につれ、夏ごろにはそれもなくなっていきました。
部活動は、サッカー部へ入部をし、週に3回の練習、そして中学対抗の試合に参加。
同じクラスの同級生やサッカー部の違うクラスの同級生とも、楽しく仲良く中学校生活を過ごせていました。
中学受験で得ることができた合格という成功体験が、陶真へ自信を与え、似通っている同級生たちとの学校生活の中で、格段に良い方向へ成長を続けていると確信することになりました。
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