【大学入学当初~】
自宅外通学での進学となった涼佑は、大学の寮での生活にもすぐになじめたようで、入学式の日には寮の先輩に声をかけられ、親しげに話すようすに、夫も私もホッと胸を撫でおろしました。
・大学の授業には遅刻せずに出席できている?
・大学の授業内容についていけてる?
・試験の成績はどんな感じ?
・同じ学科の中で順位はどれくらい?
・履修科目の単位は取れそう?
・ちゃんと進級できる?
など、涼佑に聞いて確かめたいことが次々と頭の中をよぎりますが、
「お母さんがそれを知ったところでどうするん?」と、
逆に質問されて「う~ん…」と口ごもるのが関の山な気がして聞けずにいました。
そんなこともあり、帰省したときに涼佑に聞くことといえば、生活面やお友だちのことに絞られることになりました。
息子ということもあり、ひんぱんにこちらから連絡もできず、
夫にはいつも「何も言ってこないのは元気な証拠やから」
と、今ではそれが涼佑がそばにいない寂しさを紛らわせるための言葉になりました。
そんな私たちをよそに涼佑は大学生活を満喫しているようでした。
【アルバイトをはじめた涼佑】
夏休み前に大手飲食店と寮の先輩から紹介された家庭教師のバイトを始めていました。
大手飲食店での涼佑は「賢いね~!」「えらいね~!」と持ち上げられることが多く、気分良く働けているようでした。
そんな周りからの高評価を、面と向かって聞くことが多くなった涼佑は、
「(旧帝大生としての今の自分は)生きやすい」
と口にするくらい、大いに自尊心をくすぐられていました。
もうひとつの家庭教師のバイト先は、平均的収入のわたしたち家族が生きてきた中で一度も関わることがないであろう馬主をされているお家でした。
「馬主って何⁈すごすぎるやん!」
めったに聞くことがない言葉を聞いた私は、
「どんなおうちなん?そのお父さんって、いくつぐらい?どんな人?」
と、聞かずにはいられませんでした。
そんな私とは対称的に、
「それよりも晩めし食わせてもらってるからよかったわ」
と、涼佑はいたって現実的でした。
私にとっての雲の上のヒトは、私立一貫校へ通っていた涼佑にとっては、わりと身近にいるヒトなのかもしれません。
たとえどんな相手であろうと、気おくれすることなく接していられる涼佑を誇らしく、公立中高出身の私が身に着けてこれなかったものだと感じました。
そして、学生の立場とはいえ社会にかかわることで、これからの涼佑にとって、かならず何かしらの糧となることを願っていました。
【大学でのお友だち】
中学高校のときとは違い、離れて暮らす私には、仲が良いお友だちの顔も名前も、ほとんど知るよしもありませんが、彼らの下宿先へはちょくちょく訪ねていくようでした。
涼佑は小学生のころから、仲良くしたいと思うお友だちがいれば、積極的に自分から声をかけていました。
それ以来現在に至るまで、良い関係性を保てるお友だちに恵まれるのは、長男にはない末っ子らしい要領の良さの表れのようでした。
【中学高校からの同級生たちと】
兄の陶真と同じく涼佑も夏休みなどは、別々の大学へ通う元同級生たちと旅行へ行ったり、また日本の至るところにいる彼らの下宿先を訪ね、一緒にその先々の観光名所を巡ったりすることで、旧交を温めあい、6年間共に過ごした私立一貫校ならではの、あいかわらずの結束力の強さをみせていました。
私がこの1年間でいちばん嬉しく感じたことは、涼佑が感謝の気持ちを、自然に素直に「ありがとう」と伝えることができるようになったことでした。
私たちと離れて暮らすようになって何かしらの心境の変化もあったとは思いましたが、何よりも自分が思い描いていた居心地のよい場所にいられることで余裕が持て、他者に思いを馳せることができるようになったのかもしれません。
【新規学卒者の学歴別にみた賃金】
新規学卒者 平均初任給
院卒 26万7900
大学卒 22万8500
高専・短大卒 20万2300
専学卒 21万2600
高卒 18万1200
出典:厚生労働省 令和4年 賃金構造基本統計調査の概況
涼佑がなにげなく言った「(今の自分は)生きやすい」という言葉が、私の中にずっと残ることになりました。
この言葉は、今までの私たち家族が歩んできた「中学受験からラクトクで大学へ」という道が、涼佑にとって最高で最善のものであったことの証ともいえました。
そして環境を重点に考えるなら、「中学受験」は、夢/財/学歴ナシの私たちのような家族でも、わが子が夢/財/学歴アリ家族に変貌を遂げられる「最良の選択肢のひとつである」と確信していました。
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