次男の私立一貫校[中1]⦅中学受験~⦆

1月末、その日は入学手続物品販売、それと制服採寸があり、涼佑と私で向かいました。
そのときに、たまたま私たちの前に並んでいたのが、1年の時に同じクラスとなった野崎くんでした。
私からすれば、下のクラスとはいえ、この学校に合格できたことだけでも喜ばしいことでしたが、野崎くんのママは「この子は上位クラスではなくて…。」と、本当に悔しそうにしていたことが、今でも印象に残ることばでした。
それも当然で、彼のお父さんは歯科医として開業していて、代々続くかなりの資産家のおうちで、彼に対する期待も相当大きいもののようでした。
その期待に応えるべく、彼もまた、中学受験に向けていっしょうけんめい勉強に取り組んでいました。
野崎くんと涼佑は同じ塾で、難関校レベルの算数講座を受けていたことと、彼のお姉さんもここの高校に在学中であることを涼佑からあとで聞きました。

3月には、保護者参加のオリエンテーションが2回行われました。

3月の小学校卒業式では、袖を通したばかりの中学の制服姿が、兄と同じく涼佑の笑顔とともに、誇らしげに輝いて見えていました。





【弟の涼佑の入学式】


4月初旬、涼佑と夫、私の3人で坂の上の校舎で行われる入学式へ向かいました。

坂の上の校門の前には、カメラを家族間で回しあって「入学式」の文字を囲んで写真を撮っている家族がいたので、私たち家族もそれに混じることにしました。

会場には、おおよそ半分以上は優に超える割り合いで第1志望校であったであろうと確信できるほどの参加者の満足げな笑顔であふれていました。
約3倍ほどの入試倍率をくぐり抜けてきたわが子たちを見つめる保護者の眼差しもまた、涼佑たちと同じく輝くものでした。

一般人の私からしても、明らかに異彩なオーラを放つ学校長のお話には、これから始まる涼佑の6年間が有意義なものになっていくであろうと予見できるだけの何かが感じられ、ここへ涼佑のこれからを任せることができてよかったという思いが以前にも増して広がっていきました。


【1年生の涼佑

4月—2泊3日でスプリングキャンプ
5月―公開授業、定期考査①
6月―2日間の文化祭、合唱コンクール
7月―定期考査②
10月―体育祭、平和学習、定期考査③
11月―芸術鑑賞会
12月―レシテーションコンテスト、定期考査④
1月―書き初め
2月―定期考査⑤
3月―イングリッシュキャンプ

「交友関係のイジメについて」は、特に厳しく対処しているのを感じました。
入学してすぐに、涼佑と違うクラスで起きたことですが、授業中にいつも寝ている生徒(仮にAさん)について、近くでそれを見ていた何人かで話題にしていたことを、Aさんが耳にし、いじめられていると捉え登校できなくなったことで、学校側がそれをイジメと断定し、涼佑の学年のみならず、学校全体の問題として、しばらくのあいだ大きく取り上げる課題となっていました。
結局のところ、イジメを受けたと感じていたAさんが学校をあとにすることになったようでした。

その徹底していた指導もあってか、涼佑から同級生に対する良くない見方が減っていき、長所をほめる言葉をよく口にするようになりました。


涼佑の担任と副担任の先生は、どちらも難関国立10大学と呼ばれるところを卒業されていて、各教科担任やその他の先生方も名立たる大学を卒業されている方々が多くいました。

それを夫に話すと「大学だけが人生ちゃうから」というので、私は「確かにそうかもしれへんな」と言いつつも、心の中で「そしたら何でわが子に中学受験させたんやろ?」と夫に対して、そして自分に対して疑問を投げかけていました。

「何といっても世の中は学歴社会がものをいうからやんな」「安物買いの銭失い、学校も同じ」「結局、私自身がやりたくてできんかったことを、あの子らにやってほしかっただけ?」と浮かんでは消えていき、どれも当てはまっているようでもありました。

ただ陶真のときと同じ、すがすがしい気分となぜだか「やりきったぞ」という達成感を得ることができたことは確かでした。

そして、そんな学校全体の空気が涼佑のこれから始まる中学生生活を良い未来へと押し上げてくれる気がしました。

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