次男の涼佑の3年間の中学受験期

涼佑が小4生のとき

7月、8月—10日間の夏期講習を受けました。
12月—4日間の冬期講習がありました。
1月—公立中高一貫校クラスの上位クラスで受講と決まりました。
涼佑は、何も問題なく、学校も塾もこなす日々を過ごしていました。


涼佑が小5生のとき

この年から、同じ小学校の同級生のひとり、根本航季くんが同じ塾へ通うことになり、塾での「公立中高一貫校」の、ほとんど同じ講座を、同じクラスで受けることになりました。
彼は、見るからに頭の良さがわかる男の子でした。
この時期から共に通塾できたことで、涼佑にとっても航季くんにとっても、良い相乗効果になっていけるといいなと思いました。

2月―塾の初年度に向けてのガイダンスがありました。
5月―学力テストがありました。
6月—塾の個人面談がありました。
7月—2週間の夏期講習がありました。
12月—4日間の冬期講習がありました。


涼佑が小6生のとき

3月、4月—8日間の春期講習個人面談がありました。
5月—比較的難関校とされる私立中高一貫校2校の模試を受けました。
7月、8月—25日間の夏期講習がありました。

8月の初旬、夫と私と涼佑は、ある会場で開催されていた、地域の私立一貫校合同での「私立中高一貫校説明会」へ参加しました。

第1志望校は、もともと兄が目指した「公立中高一貫校」を念頭に入れていて、第2志望校とする「私立中高一貫校」をどこにしようかと検討しているところでした。
その会場で、兄の中学受験のときに、大学合格実績が飛躍的に伸びていることで話題になった「私立中高一貫校」の文字が、ふと私たちの目に止まりました。
ただ、ここを合格できるくらいでないと、第1志望校の「公立中高一貫校」は厳しいといわれるくらいの難易度がここにはありました。
いわゆる「すべり止め」としてではなく、ここを受験する場合は、それなりの対策をする必要がありました。
そこで、ここの入学パンフレットと、そのあと気になった何校かと一緒に持ち帰ることにしました。

そのあともなぜだか、この「私立中高一貫校」のことが、私の中で気になり始めました。
塾の担任の先生に相談してみたところ、秋から毎週月曜日にその学校を受験するための講座が開講されるのを知り、涼佑はそれを受講することになりました。

9月—毎週月曜日は、難関校レベルの算数、公立一貫校の講座を、毎週火曜日と金曜日と土曜日と日曜日は、公立一貫校の講座を、この月から入試直前の冬期講習まで受けることになりました。
難関校レベルの算数講座には、同じ小学校の同級生の山内雅矢くんもいました。
彼もまた私たちママのあいだでは、算数ができる頭の良い小学生として名をはせていて、彼がいることで、涼佑にも少なからず、良い影響を与えてくれるのは間違いありませんでした。

9月下旬—合不合テスト(1)
10月—塾の個人面談
10月中旬—合不合テスト(2)
11月中旬—合不合テスト(3)
12月初旬—塾の個人面談
涼佑、私たち、そして塾の担任の先生のあいだで最終的な志望校の確認をする場となりました。
12月中旬—合不合テスト(4)
12月下旬~入試—冬期講習

陶真のときとは違っていたのは「公立中高一貫校」クラスの上位の方へ、入れていたことでした。
兄よりも合格できる可能性が、高まってきていました。
難関校を目指すための算数の講座では、過去問を中心とした問題を解いていくことを繰りかえしていました。
涼佑は、それを解くうちにどんどん慣れていき、日を追うごとに解けるようになっていきました。
難関校レベル算数では、解き方のコツをつかんでいったようでした。

物事の要所の捉えかたということでいえば、涼佑はどちらかというと上手な方でした。

運が良いことに涼佑は、優秀といえる2人の同級生ともに、中学受験に臨むことができました。
私が思うには、弟や妹という立場に生まれた子どもは、生まれた瞬間から、親の愛を勝ち取るための兄弟という競争相手がいて、常に競争を余儀なくされていて、まさしく「生まれながらの戦士」なのではないかということでした。
むしろ、競争心をかき立てる相手を得ることで、目標の扉を強くたたくことができ、それを必ず開けてみせるという強い意志が働くのかもしれませんでした。

合不合テストという模試を受けるうちに、涼佑は少しずつ合格の可能性の確率を上げていくことになりました。
中学受験のおよそ1ヶ月前には、公立中高一貫校も十分合格を狙えるくらいまでになっていきました。

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