ゴールデンウイークのある日、私たち家族は、中学受験の「聖地」ともいえる灘校の文化祭へ行ってみることにしました。
校門に近づくにつれ、ひとだかりが増えていき、何列もの行列を作っていました。
待つのが苦手な夫が「ここって、いつから、こんな人気の観光地になったんや?」「並ばんと入られへんのんか」と不満を口にするくらい、次から次へと人の波が押し寄せていました。
特に目に留まったのは、私たちのように小学生を連れた家族、大手塾の先生らしき男性に先導され、それに従う小学生の集団でした。
その中には、校門の前で拝むように手を合わせている子どもたちまでいて、文字通り、ここは間違いなく中学受験の「聖地」でした。
「なにこの多い小学生!さすが天下の灘中やね!」
「それにしても狭き門すぎちゃうの?こんな人数、受けてこられたら、うちの子、逆立ちしても通らんやん」という心の声に対し、「人数の問題ちゃうからな。ええかげん、あきらめたらどう?」と、どこからともなく聞こえてくる声が、繰り返し頭の中に響いていました。
ようやく校舎へたどり着き、教室へ足を踏み入れると、ひとつひとつの教室が、まるでそれぞれが「研究所」のようでした。
たとえば、家庭用のゲーム機を自分たちでスクリーンに映し出して遊べるようにしていたり、1日に何度か時間を決めて、先生の手を借りず、灘校の生徒たちのみで公開する実験を、小学生たちに解かりやすく説明したりしていました。
それらについて話す、よどみない自信にあふれる彼らの話しぶりは、もはや「教授」そのものです。
夫と子供たちとは、そのあとに合流する場所を決め、私ひとりで保護者会が主催するバザー会場へ向かいました。
そこには、小学生のママたちと思しき女性が大勢来ていて、ここの生徒のママたちが手作りしたバッグやアクセサリーを、嬉々として買っていました。
その様子に同調するように、私も、そう高くない花モチーフのネックレスを2つ買いました。
その理由はたぶん、中学受験の「聖地」と呼ぶにふさわしいここで、ただ「あやかりたい」と思ったからかもしれません。
そのときの、おつりを手渡すママの誇らしげな笑顔を、私は今でもはっきりと覚えていました。
その胸に光る「わが子の名前が書かれた名札」とともに…。
そのあと合流したわが子2人は、ここでしか手に入れることのできない文具を抱えていました。
周りにいた小学生たちも同じように、思い思いに選んだ文具やお菓子を手にしていました。
まだまだ幼いわが子たちを見るとき、あんなふうに成長する姿を、まったく想像できず、受験さえも本当にできるのかと不安さえ感じました。
シャーペンとノートを嬉しそうに持つ陶真が、そこにいるだれよりもいちばん子供っぽく見えました。
「このままだと陶真と書かれた名札をつける日は、永遠におあずけかも」
陶真の気持ちが、今より少しでも受験に向かってくれればと思っていましたが、今日の陶真を見る限り、まだまだそうはいかないようでした。
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