【受験およそ1年前~】

涼佑私立中高一貫校では、高2生の冬の3者面談で、ある程度志望大学を絞り込む話し合いをしました。
それにより、そのあとの受験対策がそれぞれ個々に、担任の先生の指示のもと細分化していきました。

4月―高3生となった涼佑たちは、受験勉強のかたわら、日本の歴史の知識を高め、同級生たちとの親交を深めるための、国内研修旅行も組み込まれていました。



【受験およそ半年前~】

共通テスト模試国公立大学別模試有名私立大学模試により、現在の成績、順位、得意不得意教科を徹底的に可視化していきました。

6月―3者面談の日に、最終的な志望大学前期後期)を決め、国公立大学別の対策、国公立大学と併願する私立大学を決めていきました。(国公立大学2校、私立大学2校)

夏休みは、ほぼ学校での自主学習に明け暮れ、ほとんどの同級生たちとともに宿泊施設での勉強合宿に臨みました。

9月―高3生のほぼ全員が、大安吉日に共通テスト願書を学校から発送で出願しました。

10月―臨場感を持てるよう、涼佑たちは、防大または防医大を受験しました。(受験料は不要)

12月―最後の3者面談の日、
6月に決めた志望大学合格へはどれだけ近づけたか?
いわゆる「滑り止め」と言われる私立大学合格をどれだけ確実なものにできているか?
について、客観的な分析を行っていきました。

そのときの担任の先生と話す涼佑は、落ち着き払っていて、まっすぐでした。
その様子に、頼もしく感じ、嬉しくもありましたが、それは私の手を離れた「ほんとに最後の瞬間」でもありました。
6年前の夫と私が主導の中学受験のときとは違い、今の涼佑は、ひとり果敢に大学受験に挑んでいました。




【いよいよ大学受験当日へ】

1月―元旦、2週間後に共通テストをひかえた涼佑たちは、日の出を見るために有志で学校へ集合、
共通テスト私立大学出願(※12月から出願受付する私立大学あり)


共通テスト」の翌日、涼佑は登校し、共通テストの自己採点をしました。
幾度も受けた共通テスト模試の中で、その都度しているので、このときの自己採点も結果の点数とほぼ変わらないと予測できました。
その結果、何とか志望大学二次の前期入試受験できるギリギリの範囲に入り込めていたようでした。


2月―私立大学入試共通テスト利用方式含む)、私立大学合格発表国公立大学全期入試私立大学入学手続

2月の初旬から中旬にかけて、涼佑は予定通りに1校の「私立大学共通テスト利用方式入試」と1校の「私立大学(一般選抜試験方式)」の2校を受験しました。

念願が通じて2校とも合格することができました。

この2校を合格できたことは、第一志望大学合格の可能性が高まってきたと言えました。

2月の下旬、2日間行われる「国公立大学入試(前期)受験のために、その前日に涼佑と私は受験会場に近いビジネスホテルに向かいました。
その日は、交通手段と所要時間を確認するために、明日から2日間ある入試会場である志望大学のキャンパスを下見することにしていました。

その道中に涼佑が「前に来たときは駅から行ったからなぁ」
私「え?いったいいつの間に来てたん?」
涼佑「高2のとき、田上たちと来た。何か所か他の大学も見に行ったで」
私「へぇ、そうやったんや」
このとき私は心の中で「今ごろになって言うかぁ~息子あるあるやな」とつぶやきました。

入試当日涼佑と私は、手早くホテルの朝食を済ませ、入試会場へと急ぐことにしました。
フロントへ向かうホテルのエレベーターの中に、明らかに受験生と思われる男子と父の2人連れがいました。
私たちより先にエレベーターを降りたその2人のあとを追うかたちで、涼佑と私は電車へ乗り込みました。
車内には、あふれんばかりの受験生たちがいたのにもかかわらず、話し声はほとんどせず、私たちは張りつめた静寂の中にいました。

最寄り駅で下りてからも長い列ができ、大学内のずいぶん先までそれは続いていました。
大学の正面入口のところで「ん、じゃあ」と手を挙げて、入試会場へと歩き出した涼佑を、他の保護者と同じように、見えなくなるまで見送っていました。

入試2日目の朝、私は「一人で行くよね?」と聞くと「うん」と、すかさず返って来たので、ホテルのフロントから涼佑を見送ることにしました。

中学受験のときには、受験後に「どうやった?できたん?」と涼佑に対し気負うことなく聞いていましたが、この受験を終えた涼佑に、どういうわけか躊躇してしまって聞けずにいました。

ただ淡々としている涼佑の様子を見ていると、私まで落ち着いてきて、結果がどうあれ、この1年のあいだ、受験勉強に真剣に取り組んできたわが子に対し「ここまで来られただけでも充分だな」という気持ちになっていました。




【じりじりと待つ合格発表の日】

3月―国公立大学合格発表国公立大学入学手続

国公立大学前期入試を終え、合格発表までの約10日間は、とても長く感じられました。

3月の初旬、ホームページによる合格発表が午後にありました。
朝から落ち着かない私は、時間がこれでもかというくらいゆっくり過ぎていくのをじりじりした気持ちで感じていました。
もういよいよというとき、そばに置いた携帯の前を行ったり来たりして、鼓動の高鳴りを何とか紛らわせていました。

私立大学合格発表のときに、夫と私は、涼佑より先に結果を知り、それを涼佑に告げると、「何で先にお父さんたちが知るん?」とムッとした表情をしたので、今回は涼佑からの結果報告を待とうと決めていました。
というわけもあって、お家のリビングで夫と私は、2階の自分の部屋から涼佑が下りてくるのを待っていました。

合格発表の時間になり、まもなくすると階段を急ぎ足で下りる足音がしました。
扉が開くと同時に「受かった!」と、興奮気味の涼佑の声が響きました。
私が「おめでとう!がんばったね~!」と言うと、夫も嬉しそうに「良かったな」と涼佑の肩をポンとたたきました。(このとき実は、夫も私も合格したことはこっそり確認済みでしたが…)


私が思うには、中学受験にしても、大学受験にしても、究極のところ「自分自身との闘いに勝つことができるかどうか?」それに尽きるのではないかと。

わが子に対して、私たち親ができることは「ただひたすらわが子を見守り、寄り添う」だけだと。

涼佑私立中高一貫校では、担任の先生が常に口にされているのは
「お母さん、お家では勉強するよう強要しないでくださいね。なるべくお家ではくつろげる時間を持てるようにお願いします」でした。
その言葉が意図するものは、思春期のわが子をがんじがらめに追い詰めてしまわないことへの配慮でした。
それと、強制されてやるよりも、自尊心を与えつつ自身が自主的にやり始めるほうが成果を上げていけるということを、私たちは教わることができました。

真に涼佑志望大学現役合格できたのは、私立中高一貫校入学があってこその「たまもの」であることは間違いと私は確信していました。

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