【夢/財/学歴ナシ家族が迎える卒業式】
3ナシ家族の私たちが、ついに念願のこの日を迎えることになりました。
平均年収というお財布事情にもかかわらず、無謀にも「中学受験」に挑み、夫婦の危機、家族崩壊の危機、体調不良、度重なる引っ越しなど、経済的に困難を極める状況がいくつもありました。
「中学受験」を思い立ったきっかけは、夫が持ち帰った「友人の息子さんが中学受験をした」という何気ない話からでしたが、なぜだか夫よりも私の方が、その話にわが子たちのより良い将来性を強く感じることになりました。
そして知れば知るほど、私の中でワクワクとキラキラが増していきました。
そこには私のこれまで知り得なかった価値観があふれるほどあって、その全貌を知らずにはいられませんでした。
長男の陶真は、難関校には届かず中堅校への入学となり、本音を言えば経済的に私立一貫校への進学に戸惑いはありましたが、夫と話し合い、陶真なりの努力を認めてあげる意味合いにおいて進学することを決めました。
結果として「中学受験」の経験が功を奏したようで、陶真は学習能力はさほど高くはないにせよ、それも含め、ありのままの自分自身を受け入れ認め、色々なことに挑戦していけるしなやかな精神と、自尊心を持てる大人へと成長を遂げることができたと私には思えました。
次男の涼佑は、運も味方につけ難関私立一貫校への入学を果たし、大学受験についても涼佑の中での最大限の学習能力を駆使し、旧帝大に合格することができたのも「中学受験を経て私立一貫校進学」を経験したおかげだ(公立中学から公立高校への進学では到底果たせない)と、夫と私は心底思うことになりました。
場違いな私たち家族が「中学受験」に飛び込み、場違いな私たち家族ならではの困難と向き合い、何とか無事に乗り越えられたという経験は、私たち家族の一人ひとりに、間違いなく力を与えることになりました。
【次男の涼佑の卒業式】
3月初旬、国公立大学の発表を待たずに、卒業式が行われました。
同級生の何人かは、私立大学や推薦枠での大学への進学が決まり、ホッと安堵した気持ちを持つものと、国公立大学などまだ合否を待つものが、静かにそれぞれの思いを巡らせつつ、式は粛々と執り行われました。
涼佑の私立一貫校では、中1生の参観での数学の授業のとき、先生が冒頭に「君たちは当然理解していると思うが」という言葉をよく耳にしたことから、入学当初より学校を上げて生徒全員を優等生とみなし接していることがうかがわれました。
確かに「何でこれくらいのことできないの?」と言われるより「君なら当然できる」と言われるほうが、学習にたいしての意欲が増すかもしれません。
そのせいもあり、涼佑の同級生たちは、志望大学も含め自分の将来に対する高い目標を持つことができました。
涼佑の私立一貫校では、年に数回、同級生たちとの親睦をはかり、見聞を広めるための海外・国内研修旅行がありました。
そのおかげか、彼らの結束力は強く、体育祭や文化祭でそれらが十二分に発揮されていました。
それらも相まって、同級生と切磋琢磨し、大学受験へも学校全体がひとつになって、入試に照準を合わせ、個々の実力をその時に最大限にするような指導と環境が整っていると言えました。
涼佑の私立一貫校では、いじめと思われる言動や行動について、誰かがいじめを受けていると感じた場合は、学校全体において徹底的な指導を受けることが決められていました。
誰に対しても相手の立場に立つことの大事さ、自分が言われたりされたりしたら嫌なことをしないということを共有していました。
そのせいもあってか、誰もが合否に関する話を口にすることがないことが暗黙の了解になっていたかのように、この日参加している全員が、ただ卒業を祝い、その喜びを分かち合う姿がありました。
大学の合否も気になるところですが、涙ではなく澄みきった笑顔の涼佑を見ていると、結果はどうあれ、精いっぱいやり切ったであろうわが子の満足気なようすに、私の涙はよりいっそうあふれました。
私立中高一貫校は学習面だけではなく、精神面での成長をも育み、個々のより大きな自分を描き、そしてそれを実現可能にしていける教育の場であると実感しました。
それは難関校といわれるところのみならず、中堅校といわれるところでも、親としての対価を払う以上の得難いものをわが子へもたらしてくれるところでした。
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