兄の陶真がどこに転塾するかを決めかねている頃に訪ねたある塾で、陶真が入塾テストを受けているあいだに、小1の涼佑にも入塾テストを勧められたので、ほんの軽い気持ちで受けてみることにしました。
その結果がなんと「今から始めれば、灘中も夢ではありませんよ」といわれるほどでしたが、そのときは、陶真を優先していたことと、小1生の涼佑に塾へ通わせるのは、私たちの中に、まったくない選択のひとつでした。
いずれ涼佑も中学受験に向かうことになりますが、小1生から小3生までは、受験優先ではなく、それよりもむしろ、同級生たちと遊ぶ時間というのを大切にしてもらいたいと思っていました。
無理がない程度に、少しづつ気持ちが受験へ向かうように、そして通塾に慣れるためにと、小3生のときの涼佑は、年2回の期間講習だけ、陶真が通う塾へ行っていました。
それと陶真の受験で気づいたことがありました。
陶真のときに、何度かの転塾をしたことで、陶真も私たちも、とても疲れてしまったことでした。
そのため、たとえ涼佑に成績の変動があったにせよ、私たちがそのことにあたふたせず、中学受験が終わるまで、ひとつの塾に居続けると決めました。
とはいえ、何度か繰り返した陶真の転塾は、終わってみると「功を奏した」といえました。
陶真が最終的にたどり着いた塾は、良心的で、陶真たちが補習をするというのなら、先生の自宅を開放するからという提案がとびだすくらいに、陶真たちに対して、親身になって接しているのが感じられる、申し分ないところだったからでした。
当然のこと、涼佑もそこへ行くべく、小3生の11月に入塾テストを受けることにしました。
陶真へは高校受験をするよう勧めていた塾長でしたが、涼佑の入塾テストが終わるやいなや、夫と私が待つ席へ来て「涼佑くんの国語の解答ですが、あと1問正解していたら満点でした。いやあ、惜しかったですね」と、まるで自分自身のことであるかのように残念そうにしていました。
塾長を残念がらせた涼佑は、中学受験に向いているかもしれないと、このとき私は確信しました。
小1生から塾に行っていれば、私もあこがれの灘中生のママに⁈とまでは思えませんでしたが(笑)。
小3生の終わりまで、スイミングスクールへ通い、その年の2月から涼佑は、陶真と同じく「国公立中高一貫校」をめざすためのクラスへ通うことになりました。
陶真の受験を終えて思うのは、私たちにとって、はじめてのことばかりで、とまどったり、悩んだりしましたが、結果的には、家族がひとつになって臨む、貴重でありがたい経験だったということでした。
残念ながら陶真は中学受験に向いていたわけではありませんが、だからといって陶真自身が、悪いわけでは決してなくて、それは、単なるめぐり合わせであったり、その子の心身の成長の進み具合であったりすることが最大の要因ではないかと感じました。
もし、中学受験が希望通りにいかなかったとしても、そのときのわが子に、けっして敗北感を感じさせることなく、そのあとの未来に、その子の眠っている才能が必ず開くことを信じて、あきらめずにゆったりと見守っていきたいと思いました。
数々のどんな受験であれ、希望通りに事が運んだ受験生は、ほんの一握りのはずでした。
中学受験は、わが子が「合格」という成功体験を得るための絶好の機会であって、何校かを受験するのは、それを積み上げることでもありました。
私たち家族にとって、中学受験という「とても大きな波」に「乗れることになるか?」はたまた「それに呑まれることになるか?」は、今は見当もつかないでいましたが、やってみるだけの対価が必ずあると、私は私の中の内なるどこかで信じていました。
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