【夫と私での暗黙の了解ごと3つ】
特にそのことについて、話し合ったのでもなく、暗に「決まっていたこと」でした。
私たちのあいだで、わが子たちの話をする中で、2人にとって、私たちがどう関わっていくのが、最善とまではいかなくても、より良いことだと思えるのかを、常に探していました。
私は今でもときどき、後悔する気持ちが込みあげてくることがありました。
私が高校生のときに亡くなった母へ、そのあと二人三脚で過ごした父へ、その病弱だった父とともに、母親代わりになり、私を育ててくれた祖母へ、いくつになってもやんちゃな青年のような祖父へ、そのそれぞれの私への愛情に対して、感謝の気持ちをひと言さえも伝えることができなかったことを…。
今は自分が親となり、母たちの側に立って思うのは、わが子にはただ「楽しく自分らしい道をいつまでも歩き続けてほしい」ということでした。
後悔したり悲しい気持ちになってほしくはないと…。
どこか遠いところで、今も私を見守ってくれている両親と祖父母は、私がいつも自分らしい道を楽しんでいることを真に願っていると、今では日ごとに強く思えるようになりました。
そんな母たちが私に遺してくれたであろうこのおもいを大切に感じながら、わが子にも関わっていこうと思いました。
これまでの親からの愛情に対して、私が満たされていたと感じていたとするなら、夫は満たされていなかったと感じていたところから、夫の息子たちへの関わりが始まっていました。
夫にすれば頭では良いとわかっていることが、心情で受け入れられずに、真逆に動くことがたびたび起こることになりました。
それは当然といえば当然といえたかもしれません。
夫には、幼少時の親からの影響が染みついてしまっていました。
それでも、それを払いのけようと、懸命にわが子たちに関わろうとする夫に、私はいつも驚きを感じました。
【その1】 私たちは兄弟をそれぞれ平等に育てること
愛情も、時間も、そして金銭的にもできるだけ偏りなく接していくようにしたいと思いました。
わが子への愛情といっても、いくら大事に思っているとはいえ、言葉で伝えるだけではなく、一緒に過ごす時間、習い事や教育に費用を、等しくかけることで、それが伝わりやすいと感じていました。
兄弟ともに中学受験へ向かうことも、どちらかに不平等感を持たせないための配慮でした。
【その2】 私たちができるだけの教育と経験をさせること
同じ環境であったとしても、生まれ持つ能力がそれぞれ違っているので、多種多様な教育や経験を与えていき、それぞれにあった道が、できるだけ早く見つかることを願っていました。
そして学校の長期の休みを利用して、その時間を少しでも多く持つようにして、私たちも一緒になって楽しんでいけたらいいと思いました。
家族4人全員で過ごせる時間はそう長くはありません。
金銭的なことや物理的なものは、代わりになれるものがあるかもしれませんが、時間は限りがあり、取り戻すことすらできません。
【その3】 兄弟はそれぞれ独立した存在であると認めること
わが子たちのみならず、それぞれに長所と短所があり、得意なこととそうでないことがあります。
短所も見方を変えれば長所といえることもあります。
早熟でない子であればなおのこと、自分は何が好きで何が得意なのかに気づいていません。
きっと誰しも平等に、自身だけが持つ才能の引き出しがあって、いつかそれが開かれるときが来るのを、私たちは信じて待つことになります。遅いと責めるでなく、だれかと比較することなく…。
これらのことを、夫と私でどれだけやっていけるかはわかりませんでしたが、それらは、私たちのあいだで着実に息づいていきました。
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