【長男の陶真が通う中堅校のママ会】
年に1回、クラス役員主催の「ママ会」があり、陶真が中1生のときから毎回参加していました。
ほぼセレブな人たちの集まりに何を着て行けばいいのかと、毎回頭を痛めてしまいますが、それでも私にとってキラキラと輝くその場所は、是が非でも参加したい場所でした。
そこには私の日常とはかけ離れた日常があふれていました。
私たちのふだんの会話というのは
「○○スーパーでキャベツが安く買えたで」
「今月は電気代が高かったから来月は気をつけるわ」
「そろそろ下の子もそろばん行くからパート代増やさなあかん」
と、教育費は後回しになってもしかたがないことが暗に込められていました。
自分でそう言っておきながら、どこか後ろ向きな感じがして、話していて自分自身でも楽しい気持ちにはなれませんでした。
それに引き換え長男の私立一貫校のママたちは、さりげない会話の中に、家族との海外旅行、わが子たちの海外留学、ブランド品のお買い物などの話が飛び交い、思わず「それほんまかい⁈」と突っ込みたくなるほど羨ましい限りの話ばかりでした。
私のような平均的年収の立場で話すときっと自慢話に聞こえてしまいそうですが、彼女たちが話すのを聞いていても、嫌味に聞こえないのは、それらの出来事がほんの日常であることの証でした。
私の周りにはめったに存在しない、きらきらと輝く「非日常」を彼女たちから身近に感じさせてもらえたことも、私にとって私立中高一貫校に陶真を通わせて良かったと思うことのひとつだったのかもしれません。
【次男の涼佑が通う難関校のママ会】
中1生になってすぐのころに、涼佑は運動部の部活へ入部することにしました。
それ以来涼佑たち部員は部活以外でも仲が良く、休みの日に集まって出かけることもしばしばでした。
そのせいもあって、私もママたちと試合の応援に参加する以外でも、わが子たち同様に交流を持つようになっていきました。
年2回、ランチ会や夕食会にいつも率先して企画してくださる2人のママにほとんどお任せで、私はそのお膳立てに乗っかるかたちで参加していました。
長男の中堅校のママたちとは少し違って、医師や会社員としてお勤めしてるママたちが半数以上で、ママ自身もキャリアを積んで社会貢献に積極的に関わっているという自負を持たれている印象でした。
そのせいなのか何に対しても前向きで、わが子たちへの教育にもとても熱心なことがひしひしと伝わってきました。
もちろんのこと、どのママにしても私たち家族の少なくても倍以上の収入があるのは間違いありませんでしたが、次男の私立一貫校のママたちは、自身も優秀な人たちなのはもちろんのこと、人を下に見ること、経済的な詮索、悪い噂話、愚痴などに終始することがいっさいありませんでした。
ここにも、私の「日常」ではあまり感じない「非日常」がとても多くあると感じていました。
そして、私の目指す理想ともいえる心地よい「日常」があふれていました。
「中学受験」というものに、私自身がいちばんわくわくを感じ、わが子たちにそれを歩ませたことは、生きてきた中で最高で最大の経験といえました。
私にとってのありふれた日々は、そのおかげで彩りを放ち、私たち家族にでも未来を明るくすることができるということを、それは教えてくれました。
【子供の体験格差】
体験格差とは―学校以外の体験機会を得られるかどうかが、子どもによって格差が生じていることを表す言葉。
一般的には、旅行や習い事、休日に友達と一緒に遊ぶなどの学校の外で行われる体験機会の格差といった意味合いで使用。
〇体験格差が生じる要因と問題点〇
①経済的な要因…貧困などにより体験行動をあきらめてしまう
②地域的な要因…大自然に囲まれている地域または都会、どちらかに住んでいることにより自然・文化、どちらかに触れる機会が少なくなる
③体験格差の連鎖…体験機会に恵まれなかった子どもがその重要性を知らずに親になり、その子どもにも体験機会を与えることが少ない
④コロナ禍の行動制限…リモートでの学習活動をうまく活用しにくい家庭がある
〇積極的な体験活動が持てた場合〇
①現実の世界や生活などへの興味・関心、意欲、意欲の向上
②問題発見や問題解決能力の育成
③思考や理解の基盤づくり
④教科等の「知」の総合化と実践化
⑤自己との出会いと成就感や自尊感情の獲得
⑥社会性や共に生きる力の育成
⑦豊かな人間性や価値観の形成
⑧基礎的な体力や心身の健康の保持増進
引用:体験活動の教育的意義(文部科学省)
別の調査でも小学生の頃に体験機会に恵まれていると高校生の頃に「自尊感情」が高くなる傾向にあることが明らかになっています。
小学生だったわが子たちは「中学受験」を通して、こういった面でも、体験させた効果が将来どこかの場面で発揮されるという期待値を多く持ちました。
わが子たちが中学受験塾に通っている頃は、2人ともそれほど学習意欲がないことに私自身が苛立ったことも多々ありました。
親としては、自分自身の後悔からどうしてもわが子に勉強するよう強要しがちですが、そのことに何の効果もなくて、かえって学習意欲を削がれるおそれがあることに気づきました。
それは自分自身を振り返ると、親から「よくできたね」「がんばったね」「えらいね」と言われたときの方が「もっとがんばるぞ!」と、断然やる気が出ていたからでした。
このとき、生まれ順や持って生まれた性格や心の成長具合の速度などによって、個々で覚醒する適時がそれぞれ違っていて、それを待ってあげる大切さを実感しました。
「中学受験」の体験という土壌を、「親が耕す」のではなく、あくまでも自発的に「わが子自らの手で耕す」という視点に立って、長い目で見て寄り添い支えていく姿勢が必要でした。
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