【長男の通った中堅校の同級生たちのその後】
陶真は高校から別の道に進みましたが、その後も中学時代の同級生たちとの交流が続いていました。
多感な時期に小学校の幼なじみと離れ、ほぼひとりぼっちで私立一貫校へ進学した陶真と同級生たちのきずなは思った以上に深く、高校卒業後も陶真たちは年に数回ほど各方面から集まって、それぞれの近況などを話し合うほどでした。
そのほとんどの同級生たちは大学へと進学しました。
祖父が大地主である岡沢くんは、高校から海外のハイスクールへ進学という華麗なる経歴を手に入れたあと、日本へ戻り私立大学へ、
元プロスポーツ選手を父に持つ桐谷くんは関東の私立大学へ、
クラスでの成績がトップだった森くんと部活が同じだった青木くんはそれぞれ関西の有名私立大学へ、
似通った環境だった河合くんは、国公立大学へと、
全員現役での入学を果たしました。
私立一貫校では、それぞれの進みたい将来に向けて、進路指導の先生たちからさまざまな指導を受けることができました。
例えば、外国語を専攻するための大学をめざす場合、在学中の語学留学を提案したり、また6年間かけてそれぞれの能力を最大限活かせるよう見極めての手厚い指導がなされていました。
私立一貫校では、高3生の1年間すべてをかけて、大学受験に特化した指導と対策、それに伴った学習がなされていることも大学合格に向かう受験生にとっては大きな利点となっているようでした。
そのおかげであるといっても過言ではないくらい、彼らは実力以上の大学合格をつかみ取れたと思うほどでした。
中堅校といえど、わが子思いのセレブが、こぞって集うのには、わが子のより広がる将来性を「私立一貫校」に見出しているからに違いありませんでした。
【次男の通った難関校の同級生たちのその後】
涼佑の私立一貫校は、とても速いスピード感を感じるところでもあり、一学年一学年に研修旅行などの行事がぎっしり詰まっていました。
一瞬たりとも無駄にしまいとする濃度も密度も高いなかで、涼佑たちはそれを物ともせずにこなしてきていました。
そんな学生生活を6年間過ごしてきた彼ら精鋭たちは、その流れに乗ったまま、ある意味大学受験を行事として捉えているかのように、淡々と臆することなく、自分の能力を最大限活かし切ろうとしていたのでした。
「なりたい自分」そして「最高の自分」をめざして、学校全体で駆けあがって行くように…。
涼佑と中1生のころから仲良くなった、大手企業で海外勤務の父を持つ佐伯くんは、現役で関東屈指の有名私立大学へ、
同区に住むお父さんが公務員の植沼くんは、現役で旧帝大へ、
ヘッドハンティングされるほど優秀なサラリーマンの父を持つ田上くんは、関東の有名私立大学へ、
医師の父を持つ野崎くんは、国公立大学の医学部へと、
それぞれが思い描く自分に近づくための申し分ない道を歩み始めていました。
高3生の涼佑たち私立一貫校の同級生は、現役か浪人かどちらにせよ、ほぼ全員が大学への進学をめざしていました。
涼佑はその中で、下位から数えて4分の1くらいの成績を長い間更新し続けていましたが、最終的にちょうど真ん中くらいの成績にまで持っていくことができました。
それより上位の成績となれば、トップ層は東大、京大、東工大、国公立の医学部、そのすぐ下位層から涼佑のいる中間層までは旧帝大や関東の超難関大などの合格をほぼ現役で勝ち取ることができました。
わが家ではそこまでの経済的余裕があるはずもなく、必要最低限の出願でしたが、第1志望大学から第7志望大学くらいまでは出願するのが周知の事実となっていたようでした。
というのも、なかには多数受験をお願いされる場合もあるそうで、あくまでうわさですが、それが私立一貫校では合格実績をのばすための秘策となっているのかもしれません。
かといって、無理強いすることはなく、あくまでも自分の将来に沿う大学を推奨されました。
何がなんでも東大受験、有名大受験を暗に込めるような指導ももちろんありませんでした。
大学への現役合格を果たすなら、私立一貫校の右に出るものはないと言い切れるくらいに、ここには大学合格への道すじがしっかりと築かれていました。
同級生とのさまざまな体験、情操教育、理想の自分になるための自尊心を育む教育、どれもがここにあり、最高の自分に近づくにはどれもが必要不可欠であると思えました。
公立中学そして公立高校では、明らかにどれをも与え足りないことが、夫と私の中で確信に変わりました。
たとえ難関私立一貫校への合格がかなわなくても、私立一貫校への進学は、どんなわが子であれ、精神の成長をより加速させました。
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